その一票、テレビの延長で入れてませんか? ― 知名度に弱い国民性を、そろそろ卒業しませんか ―

Kao/ 2月 5, 2026/ 未分類

昭和のオバちゃん世代は、テレビに育てられた。
ニュースキャスターが深刻な顔をすれば、「これは大変なことなんだ」と素直に信じた。

いまの若い世代は違うと思っていた。
ネットを読み、SNSの短文から本音を見抜き、情報を取捨選択する。
――はずだった。

ところが蓋を開ければ、昔と変わらない。
いや、むしろ悪化している。
テレビは一方向だったが、今は誰でも拡声器を持てる時代。
結果どうなったか。

声の大きい人に引っ張られる大会が、毎日開催されている。
まともな意見も、なぜか斜めから受け取られる。
素直じゃないというより、“ひねくれ力”だけが鍛えられている。

最近よく見る演説妨害もそう。
民主主義とは「気に入らない相手の話も一応聞く」ことだと思っていたけど、どうやら違うらしい。
今は「気に入らなければ叫んで潰す」が新ルールのようだ。
しかも、その妨害している姿をちらっと見ると――
若気の至りでもない。

だいたい人生の酸いも甘いも噛み分けた年齢の方々。
昭和のオバちゃんとしては思う。
あなた、そのエネルギー、孫の面倒に使った方が社会貢献じゃない?

看板も地盤もなく立候補する人間は、それだけで多少の覚悟がある。
まずは主義主張くらい聞けばいいのに。

一方で、選挙のたびに現れる「知名度だけはあります枠」。
元アイドル。元スポーツ選手。元タレント。
自民党の伝統芸でもある。

もちろん知名度は武器だ。
でも国家運営は人気投票じゃない。
外交、安全保障、経済。
――これ、握手会の延長でどうにかなる仕事でしたっけ?

「国政をなめるな」と言いたくなるが、
本当に舐められているのは有権者の方かもしれない。
知ってる顔なら安心。
テレビで見たことあるから信頼。
結局、日本人は昔から変わらない。
肩書と知名度に弱い民族。

とはいえ、もっと怖いのは別のこと。
こんな構図を見せられるたびに、
「まあ、こんなもんか」と慣れてしまう自分がいる。
怒るより先に、呆れる。

そして最後に思うのだ。
民主主義って、
政治家の質ではなく、選ぶ側の覚悟の質が問われる仕組みなんだな、と。

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