その一票、テレビの延長で入れてませんか? ― 知名度に弱い国民性を、そろそろ卒業しませんか ―
昭和のオバちゃん世代は、テレビに育てられた。
ニュースキャスターが深刻な顔をすれば、「これは大変なことなんだ」と素直に信じた。
いまの若い世代は違うと思っていた。
ネットを読み、SNSの短文から本音を見抜き、情報を取捨選択する。
――はずだった。
ところが蓋を開ければ、昔と変わらない。
いや、むしろ悪化している。
テレビは一方向だったが、今は誰でも拡声器を持てる時代。
結果どうなったか。
声の大きい人に引っ張られる大会が、毎日開催されている。
まともな意見も、なぜか斜めから受け取られる。
素直じゃないというより、“ひねくれ力”だけが鍛えられている。
最近よく見る演説妨害もそう。
民主主義とは「気に入らない相手の話も一応聞く」ことだと思っていたけど、どうやら違うらしい。
今は「気に入らなければ叫んで潰す」が新ルールのようだ。
しかも、その妨害している姿をちらっと見ると――
若気の至りでもない。
だいたい人生の酸いも甘いも噛み分けた年齢の方々。
昭和のオバちゃんとしては思う。
あなた、そのエネルギー、孫の面倒に使った方が社会貢献じゃない?
看板も地盤もなく立候補する人間は、それだけで多少の覚悟がある。
まずは主義主張くらい聞けばいいのに。
一方で、選挙のたびに現れる「知名度だけはあります枠」。
元アイドル。元スポーツ選手。元タレント。
自民党の伝統芸でもある。
もちろん知名度は武器だ。
でも国家運営は人気投票じゃない。
外交、安全保障、経済。
――これ、握手会の延長でどうにかなる仕事でしたっけ?
「国政をなめるな」と言いたくなるが、
本当に舐められているのは有権者の方かもしれない。
知ってる顔なら安心。
テレビで見たことあるから信頼。
結局、日本人は昔から変わらない。
肩書と知名度に弱い民族。
とはいえ、もっと怖いのは別のこと。
こんな構図を見せられるたびに、
「まあ、こんなもんか」と慣れてしまう自分がいる。
怒るより先に、呆れる。
そして最後に思うのだ。
民主主義って、
政治家の質ではなく、選ぶ側の覚悟の質が問われる仕組みなんだな、と。