「その正義、街頭に立てますか?評論家だらけの国で思うこと」 ―SNSで叫ぶより、投票所で黙る人のほうが強い。昭和オバちゃんの民主主義観―

Kao/ 2月 13, 2026/ 未分類

新しく政党を立ち上げて、国政政党にまで育てる。
言葉にすると一行だが、実態はほぼ“修行僧コース”だろう。

資金集め、候補者探し、組織づくり、選挙。
やっと注目されたと思えば、次に飛んでくるのは称賛ではなくアンチ。
まるで祝砲ではなく機関銃だ。

「れいわ」「参政党」「日本保守党」など、次々と新しい旗が立つ。
政治は数だと言われるが、その“数”を集めるまでにどのくらいの胃薬を飲んだのか、想像するだけでこちらの胃が痛い。

基本、反骨精神のある人間が与党に全面降伏するわけがない。
だからこそ外から吠える人は多い。

ネットを見始めた頃、私も保守派コメンテーターの動画をずいぶん見た。
日本の未来を憂い、歯切れよく政府を斬る姿は実に痛快だった。

すると知人に言われた。
「そこまで国を思うなら人がなぜ、自分で選挙に出ない?」
……たしかに。
安全なスタジオでマイクを握るのと、街頭で無視されながら頭を下げるのとでは、難易度が月とスッポンどころか、地球と冥王星くらい違う。

仲間内で拍手され、フォロワーに囲まれ、コメント欄で“先生!”と呼ばれる。
でもそれは政治ではなく、ただのファンクラブだ。

政党を作るとは、人気投票ではない。
国民に審判を委ねるという、なかなか残酷な公開試験だ。

少し目立てば叩かれ、失言すれば炎上し、沈黙すれば「逃げた」と言われる。
それでも前に出続ける人は、かなり、いいや相当に腹が座っていて尊敬する。

一方で、最近のSNSはどうだろう。

支持する、しない。
推す、無理。
秒で表明し、秒で忘れる。

騒いでいるわりに、投票日には家で寝ている人も多いのだから、民主主義もなかなかシュールだ。

動画やテレビで「違う!」と叫ぶのは自由。
ただ、それは行動ではない。

本来、政治参加とはもっと静かなものだと思う。
誰にも見せず、誰にも語らず、
投票所で一枚の紙にそっと意思を書く。

拍手も炎上もない。
でも、その一票だけは本物だ。

昭和のオバちゃんは思う。
大声で国を語る人より、黙って投票に行く人のほうが、真剣に国を憂いている。
民主主義って、意外と“静かな人”に支えられているのよ。

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