メダルより物語?昭和オバちゃんの五輪観戦記 — 技術は世界基準、涙はテレビ演出 —
冬季オリンピック。
正直、日本人の関心が昔より薄れている気がする。
昭和のオバちゃん世代にとって、オリンピックは一大行事。
ジャンプだけは家族総出でテレビの前に正座させられた。
幼稚園児にジャンプの風向きが分かるわけないのに、なぜか真剣。
ところが今。
ゴールデンタイムで大騒ぎ、というよりは
「ネットニュースで結果だけ確認」みたいな距離感。
時代は何周したのだろう。
でも驚いたのは選手たち。
技術も受け答えも、完全に世界基準。
昔の「メダル取れたら泣いて崩れる」感じとは違う。
最近の選手はさらっとしている。
「周囲に感謝です」
「支えてくれた皆さんのおかげです」
口が裂けても「俺の実力です」とは言わない。
これが令和のアスリート像なのか。
自己肯定感は高いのに、自己主張は控えめ。
不思議なバランスである。
そして日本のオリンピック中継といえば、
必ず差し込まれる家族のエピソード。
幼少期の苦労話、支えた母の涙、
犬の名前まで紹介される勢い。
メダルは技術で取るはずなのに、
なぜか最後は「物語」で感動を上書き。
昭和のオバちゃんはちょっと思う。
スポーツはスポーツで勝負せい、と。
そして永遠のテーマ、採点問題。
「低すぎない?」
「なぜあっちは高い?」
SNSがざわつく。
でも選手本人は何も言わない。
抗議もしない。
淡々と受け入れる。
ここだけは、昭和も令和も変わらない。
日本人の美学は
「文句を言わず、次で見返す」。
良い採点者に当たるのも運。
悪い採点でも言い訳しないのも運。
運も実力のうち、と飲み込む。
でも、ふと思う。
諦めの悪い性格はスポーツ選手に向かないのか?
いや、違う。
諦めが悪いのは技術に向ける。
判定には向けない。
そこが日本流。
だからメダルは取れるけど、時々モヤモヤが残る。
そしてテレビの前でつぶやくのは私たち。
「まあ、次よ次。」
——昭和のオバちゃん、
結局いちばん諦めが悪いのは、観ている側かもしれない。