「どこへ行った、日本人の“遠慮力”。勲章より恥を知れ」 〜イチローは断り、あの人は飛びつく。この差が“品”の差〜
昔、民間人なのに与党中枢に入り込んで、日本の終身雇用をバラバラにした“あの経済ブレーン”が「旭日大綬章」を受賞したというニュースを見て、思わずコーヒー吹きかけた。
非正規を増やした張本人とまで言われている人が、
「国家や公共に対して顕著な功績を挙げた人」に贈られる勲章、だと?
……いや、日本語の辞書、最新バージョンにアップデートしたほうがよくない?
一方、野球界のレジェンド・イチローは、国民栄誉賞を何度も辞退した。
これだよ、これ。
昭和のオバちゃんが「日本人っていいな」と思えた美学は。
・おいしい話ほど一歩引く
・自分の功績は、自分からは語らない
・「いえいえ、まだまだですから」と遠慮する
こういう“引き算の美学”が、ちゃんと生きてた。
ところが今はどうだ。
「ちゃっかり」どころか、「もらえるもんは全部よこせ」のフルコース。
自分の名前が入った勲章を前に、ドヤ顔でニッコリ記念撮影。
本人としては「長年の努力が報われた」と言いたいのだろうけど、
こちらから見れば「自分で自分にご褒美スタンプ押してるだけ」にしか見えない。
日本には本来、「社会的制裁」とか「恥をさらす」という文化があった。
やらかした人は、表舞台から静かに消える。
表彰される側じゃなくて、「人目を避ける側」だったはずだ。
それが今や、動画とSNSの時代。
一般人ですら承認欲求を満たすために、
・自分で自分を撮影
・自分で編集
・自分でアップ
・自分で「いいね」連打
というセルフご褒美ループにどっぷり。
自己採点は甘々、
「自分さえ良ければOK」の個人主義はガンガン進行中。
そこへきて、勲章まで「はい、よくできましたバッジ」みたいにペタッと貼ってもらう。
でもね、功績って本来、 自分で評価するものじゃない。
周囲が「あの人は立派だったよね」と、後からそっと語るもの。
死んだあとにジワジワと評価が上がるのが“本物”であって、
生きてるうちに自分の悪行まで上書き保存してくれるゴールド免罪符みたいに
勲章に飛びつくのは、ただの「自分大好きおじさん」じゃないの。
勲章を胸につけた瞬間、
「ほら見ろ、オレのやってきたことは正しかった!」
と過去の政策まで全部チャラになると思っているなら、
それこそ日本人が一番嫌ってきた“図々しさ”そのものだ。
遠慮というブレーキはどこに置き忘れてきたのか。
恥を知るという感覚は、いつの間にか粗大ゴミに出したのか。
——勲章をもらうのはご自由にどうぞ。
でもその前に一言だけ。
胸につける前に、鏡の前でこう確認してきなさい。
「これ、本当に“誇り”か? それとも“言い訳プレート”か?」ってね。
昭和のオバちゃんは、そこだけはじっと見てますよ。