「元アナも代議士も迷い込む場所、いまやパリは“自己演出の舞台”」 ― エッフェル塔より高い承認欲求、そして低すぎる品格の話 ―
「パリ? それ、ただの“承認欲求の避難所”でしょ」**
私が20代の頃、パリは“自立した大人の女性の終着駅”だった。
安井かずみさんのエッセイにも、シャネルとパリがこれでもかと登場し、
「パリは人生の答え合わせ」みたいな空気が充満していた。
……まあ、昭和の女はまんまとそれを吸い込んだのよね。
ところが今のパリといえば、
• 代議士が“研修”と称してエッフェル塔でインスタ撮影
• 元アナウンサーが「パリで暮らす私」を連日配信
• 仕事が減った芸人が“パリ散歩”で再生回数を稼ぐ
もう全員、同じシャンゼリゼ通りで順番待ちしてんじゃないかってくらい、
承認欲求の渋滞発生中。
昭和のオバちゃんは思う。
「パリって今、そんなに座り心地のいい“避難所”なの?」
その一方で——
普通の主婦が家で黙々と家事をこなし、
誰からも拍手なんてもらえないのに、
YouTubeで少し再生回数が伸びて、課金が入ったら
「はぁ…これで子どもの靴が買える」
と安堵する姿には、心の底からエールを送りたい。
だってこれは“生活の勝利”よ。
パリ移住インフルエンサーみたいな“映えの勝利”じゃなくて。
でもね。
元アナたちの荒稼ぎには正直こう言いたい。
「あんたら、いったい何段階の承認欲求ステージを踏む気なの?」
テレビで認められ、雑誌で祀り上げられ、
今度はYouTubeで“パリ暮らしマウント”まで取る気?
もう、パリもそろそろ嫌がってるわよ。
そして最後に、究極の疑問。
これでもまだパリは“憧れの地”と呼ばれるのか?
昭和のオバちゃん的には、
今や“憧れ”というより
「承認欲求が疲れた人たちの預かり所」
という認識なのだけど。