「肩書きは定年で消える」 ― 世界を飛び回った商社マンが、信号待ちで人生を語るまで ―
先日、かなり久しぶりにタクシーに乗った。
すると運転手のおじさんが、まあ喋る喋る。
後期高齢者一歩手前? 口調は江戸っ子べらんめい、雰囲気は人のいい近所のおじさん。
信号待ちのたびに話題が増える。
天気、景気、若いもん、昔は良かった話。
完全に“昭和の縁側トーク”。
ところが、さらっと出たひと言に耳を疑った。
「いやぁ、55まで商社にいましてね」
……商社?
あの?
世界を股にかけ、時差ボケと接待で胃を壊し、スーツで戦っていた“あの商社”?
今目の前にいるのは、
ネクタイどころか、肩書きもプライドも全部どこかに置いてきたような、
完全に“運ちゃんモード”のおじさんである。
思った。
人は老けるんじゃない。職業に染まるのだ。
スーツを脱げば、商社マンもただのおじさん。
ハンドルを握れば、世界経済より交差点の右折が最優先。
人格というより、雰囲気が職業に上書き保存されていく感じ。
たぶんこの人、商社時代は
「君、それ根回し足りないね」
とか言ってたに違いない。
今は
「姉ちゃん、右でいい?」
である。
人間の“格”なんて、意外と脆い。
いや、脆いというより、柔らかい。
置かれた環境で、ちゃんと形を変える。
そう考えると、
「仕事=自分」だと思い込んでギラついてる人ほど、
定年後に途方に暮れるのかもしれない。
商社マンだったことを誇るでもなく、
タクシー運転手を卑下するでもなく、
今日もべらんめい調で客を乗せるこのおじさん。
最後に一言、心の中で拍手した。
肩書きを脱いでも、ちゃんと生きてる人は強い。
……まあ、喋りすぎではあったけどね。