「肩書きは定年で消える」 ― 世界を飛び回った商社マンが、信号待ちで人生を語るまで ―

Kao/ 12月 24, 2025/ 未分類

先日、かなり久しぶりにタクシーに乗った。
すると運転手のおじさんが、まあ喋る喋る。
後期高齢者一歩手前? 口調は江戸っ子べらんめい、雰囲気は人のいい近所のおじさん。

信号待ちのたびに話題が増える。
天気、景気、若いもん、昔は良かった話。
完全に“昭和の縁側トーク”。

ところが、さらっと出たひと言に耳を疑った。
「いやぁ、55まで商社にいましてね」

……商社?
あの?
世界を股にかけ、時差ボケと接待で胃を壊し、スーツで戦っていた“あの商社”?

今目の前にいるのは、
ネクタイどころか、肩書きもプライドも全部どこかに置いてきたような、
完全に“運ちゃんモード”のおじさんである。

思った。
人は老けるんじゃない。職業に染まるのだ。

スーツを脱げば、商社マンもただのおじさん。
ハンドルを握れば、世界経済より交差点の右折が最優先。
人格というより、雰囲気が職業に上書き保存されていく感じ。

たぶんこの人、商社時代は
「君、それ根回し足りないね」
とか言ってたに違いない。
今は
「姉ちゃん、右でいい?」
である。

人間の“格”なんて、意外と脆い。
いや、脆いというより、柔らかい。
置かれた環境で、ちゃんと形を変える。

そう考えると、
「仕事=自分」だと思い込んでギラついてる人ほど、
定年後に途方に暮れるのかもしれない。

商社マンだったことを誇るでもなく、
タクシー運転手を卑下するでもなく、
今日もべらんめい調で客を乗せるこのおじさん。

最後に一言、心の中で拍手した。
肩書きを脱いでも、ちゃんと生きてる人は強い。

……まあ、喋りすぎではあったけどね。

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