介護_在宅看取り

Kao/ 1月 13, 2024/ 介護

2024年元旦早朝に父が在宅で息を引き取った。
家族に囲まれ、在宅で最後を迎えることを望んでいた。
97歳の大往生である。

2023年6月にボケが進み、実家のそばの特養に入ってもらった。
入ってから、薬の増量で特養で過ごすことを受け入れたように見えた。
その特養は、施設での看取りができず、最後は提携の診療所で最後を迎えるシステムとなっているようだ。

父は年末に、食事・水分が取れず診療所に入院した。
医師からは、年末・年始で最後を迎えるかもしれない、覚悟をしてほしいと。
そんな状態の父が、最後の力を振り絞り、帰宅を訴え施設へ戻された。

その様子を聞き、私はボケた母を在宅介護をしているマンションで父を看取る決心をした。
施設からこのマンションまでの移動は、相当に父にはこたえたと思う。
マンションに到着するとゼイ鳴が著名で、明朝までもたないかもと感じた。
翌日に母をショートステイから戻す予定を急遽、その日の夕方に戻してもらった。(2023年12月30日)

父に施設に入ってもらった時から、私は「後味の悪さ」を感じていた。
お盆に面会に行った時も、父はほぼ無言で施設での生活を受け入れた様子に伺えた。
(受け入れたと言うよりは、諦めに近いかもしれない)
やはり父をマンションに連れ戻すべきか??
周囲からは、「仕方ない」「今までよくやった」と言葉をかけられていたが、連れ戻すか? このままか?
これでよかったと自分自身を納得させていた。

元旦の早朝に父は意識が無くなった。
夜中2時くらいまで、「自力排痰」「飲水」し、意識もあった。
万が一朝、起きたら亡くなったいた・・・という最悪の事態は避けたかった。

2時〜5時半までうっかり寝入ってしまった。父の様子を見に行ったら、呼吸はあったが、意識反応はなかった。
すぐに母を起こし、父のそばにいるようにした。
1時間後、父は静かに息を引き取った。
死亡時刻を確認し、少しして警察に連絡をした。
訪問医にはお正月明けに、父を移動させると伝えていたが、年末に早まったが、
お正月体制で、連絡が取れなくなっていた。

消防を呼ぶと、搬送されてしまうので、警察に連絡をした。
しかし、お正月体制のため、消防・警察の両方がマンションに押し寄せた。

「死亡診断書」を書いてもらわなければならない。
1)消防で受け入れ病院に搬送し、検死をしてもらう。しかし受け入れ病院が見つからない。
2)警察は検察医に連絡し、マンションで検死確認する。しかし「死亡診断書」はどのくらいで書き終えるか不明。
そのばあい死亡診断書ができるまで、警察の霊暗所に一旦運ぶことになる。
警察の霊暗所に運ぶのは、身元不明者なら仕方ないが、家族としては忍びないと答えた。

消防・警察の両方のルートで病院か検察医を探してくださり、
幸い、警察ルートで検察医がつかまり、すぐに死亡届けを書いてくれることになった。
私が元看護師であり、死亡時間を明確にしていたので、それが相違ないことが確認された。

昔は、エンドステージの患者さんが「畳の上で死にたい」と、最後の最後は自宅に戻るケースがあった。
今は、自宅で亡くなると「事件」を疑い、それを否定しないとならない。

消防・警察が出動するような大騒動にしたくないと考えていたのに…結局、大騒動になってしまった。

最後まで人騒がせな父が、父らしい人生の幕引きを終えました。
おかげで、私も後悔のない看取りができましたわ。

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