令和の俳優という不思議 ~ 日本アカデミー賞を見ながら考えたこと~

Kao/ 3月 14, 2026/ 未分類

日本アカデミー賞をテレビで見た。
イランでは戦争が続いているのに、日本の会場はまるで別世界だ。

俳優も女優も、きらびやかな衣装で並んでいる。
女優の顔をよく見ると、ふとした瞬間に意地の悪そうな表情がよぎる。
「今日は私が一番きれい」
「この中で一番演技がうまいのは私」
そんな声が腹の奥から聞こえてきそうな、ほんの一瞬の顔。
カメラは残酷だ。

一方、以前から期待していた若手俳優がいた。
黒のスーツに白いスニーカー。
わざとオーソドックスから外した格好だ。
「イケメン俳優と一緒にするなよ」
「自分は演技論で勝負する俳優だ」
そんな宣言が、顔からにじんでいる。
しかし、にじみ過ぎている。

個性を主張しようとするあまり、少し必死にも見える。
個性は、主張した瞬間に少し安っぽくなる。
また別に、昔からイケメンと言われてきた俳優もいた。
4Kのテレビでも顔が崩れない。
これはもう、才能というより彫刻だ。

だが、今の時代。
どうも美しさは武器になりにくいらしい。
女優も同じだ。
美人だけではダメらしい。
「普通っぽい顔」
「生活感のある雰囲気」
そこに、映画のレンズを通すと何かが潜んでいるらしい。

しかし舞台に並ぶと、みんな普通に見える。
恐ろしく普通だ。

令和の「受ける俳優」は、よく分からない。
造形美でもない。
雰囲気でもない。

平成では「カリスマ」という言葉が乱発された。
カリスマ美容師
カリスマ俳優
カリスマ何とか。
結局、誰も説明できない言葉だった。

カリスマとは何か。
誰かが言葉にした頃には、
だいたいもう量産されている。

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