令和の俳優という不思議 ~ 日本アカデミー賞を見ながら考えたこと~
日本アカデミー賞をテレビで見た。
イランでは戦争が続いているのに、日本の会場はまるで別世界だ。
俳優も女優も、きらびやかな衣装で並んでいる。
女優の顔をよく見ると、ふとした瞬間に意地の悪そうな表情がよぎる。
「今日は私が一番きれい」
「この中で一番演技がうまいのは私」
そんな声が腹の奥から聞こえてきそうな、ほんの一瞬の顔。
カメラは残酷だ。
一方、以前から期待していた若手俳優がいた。
黒のスーツに白いスニーカー。
わざとオーソドックスから外した格好だ。
「イケメン俳優と一緒にするなよ」
「自分は演技論で勝負する俳優だ」
そんな宣言が、顔からにじんでいる。
しかし、にじみ過ぎている。
個性を主張しようとするあまり、少し必死にも見える。
個性は、主張した瞬間に少し安っぽくなる。
また別に、昔からイケメンと言われてきた俳優もいた。
4Kのテレビでも顔が崩れない。
これはもう、才能というより彫刻だ。
だが、今の時代。
どうも美しさは武器になりにくいらしい。
女優も同じだ。
美人だけではダメらしい。
「普通っぽい顔」
「生活感のある雰囲気」
そこに、映画のレンズを通すと何かが潜んでいるらしい。
しかし舞台に並ぶと、みんな普通に見える。
恐ろしく普通だ。
令和の「受ける俳優」は、よく分からない。
造形美でもない。
雰囲気でもない。
平成では「カリスマ」という言葉が乱発された。
カリスマ美容師
カリスマ俳優
カリスマ何とか。
結局、誰も説明できない言葉だった。
カリスマとは何か。
誰かが言葉にした頃には、
だいたいもう量産されている。