成功の果てに、またインド ~昭和が令和になっても、迷える人間の行き先は変わらない。~
昔の成功には、重みがあった。
昭和の実業家は、失敗し、耐え、傷を負いながらようやく辿り着いた。
成功とは、生き残った結果だった。
ところが今は、若くしてあっという間に成功する人がいる。
早すぎる成功は、ときに人を空っぽにする。
苦労して登っていない山の頂上は、景色が薄い。
だから、ゴールした途端に「次」がなくなる。
そこで出家。
昔は成功した実業家は別荘を買った。
今は悟りを求めてインドへ行く。
贅沢の最終形が無欲とは、なかなか皮肉である。
ただ、もっと面白いのはそこではない。
昭和が令和になっても、
年商1000億の起業家になっても、
人が自分探しをすると、結局インドに行く。
テクノロジーは進化し、稼ぎ方は変わり、成功までの距離は短くなったのに、
魂が迷った時の行き先だけ、昔と変わらない。
結局、人間はあまり進歩していないのかもしれない。
豊かさの果てに空虚を知り、
遠くへ行って自分を探す。
ずいぶん昔から、同じことをしている。
そう思うと、出家した若い実業家たちも、新しい人種ではない。
ただ古典をなぞっているだけだ。
時代は変わっても、
自分探しの行き先がまだインドであることに、
私は妙な安心を覚えた。
人間、そんなに変わっていない。