「平和ボケ大国ニッポン、本日も通常運転」 ~マスク不足も米騒動も忘却済み。 危機管理より、“喉元過ぎれば速報”の国~
日本のニュースを見ていると、ときどき「豪華客船のラウンジで流れるBGM」と「甲板の外で起きている嵐」の温度差に眩暈がする。
世界では、移民政策、難民問題、宗教摩擦、エネルギー安全保障、インフレ、食料危機が国家レベルで議論されているのに、日本の夕方ニュースは、
「地域猫に癒やされる商店街」
「高校生が部活帰りに転倒」
「外国人妊婦へのやさしい給食対応」
もちろん個別には大事な話だ。
だが、国全体が“生活情報チャンネル化”していると、さすがに不安になる。
特に日本は、「困っている人を助ける」という一点では世界屈指の優等生なのに、「その結果、社会がどう変わるか」を考える瞬間だけ、急に思考停止する癖がある。
まるで防火訓練だけは完璧なのに、誰も火薬庫の存在を確認しない国。
海外では移民政策の失敗や宗教摩擦について、右派左派を超えて激論になっている。
しかし日本では、その話題に触れた瞬間、
「差別です」
「多様性です」
「共生です」
の三点セットが自動販売機みたいに出てくる。
議論ではなく、“空気の定型文”。
そして日本人は、喉元を過ぎると本当に忘れる。
マスク不足で棚が空っぽになった。
「海外依存は危険だ」と大騒ぎした。
翌年には、また「安いから海外でいいよね」に戻る。
米不足で右往左往した。
備蓄の重要性を叫んだ。
数か月後には、また平時モード。
ホルムズ海峡封鎖のニュースが出れば、
「石油やばい!」
と騒ぐが、一週間後には連休のガソリン価格の話しかしない。
危機管理というより、“季節限定トレンド”。
日本社会は、良くも悪くも「昨日まで平和だったから、明日も平和だろう」という巨大な慣性で動いている。
世界が火薬臭くなっている横で、日本だけが、
「本日のほっこり特集はこちらです」
と、丁寧なテロップを出している。
たぶん日本人は、沈みゆく船の上でも最後まで行儀よく並び、
「困っている外国の方に毛布を」
と言える国民なのだと思う。
そしてその横で、誰かが静かに言う。
「……で、救命ボートは何人分あるんですか?」