世間では“親孝行な娘”、家では情緒がサーキュレーター ~介護の現場は、美談よりも「さっき薬飲んだでしょ」が9割である~
最近、ショート動画で、トヨタ会長のの言葉が流れてきた。
「努力しても報われないことはある。でも経験になる。人生に無駄はない」
深い。
実に深い。
やはり修羅場をくぐった人の言葉には、厚みがある。
三代目の重圧。
公聴会。
世界企業。
胃薬の消費量も常人の3倍くらいだったと思う。
で、その動画を見ながら、私は何をしていたかというと。
親に
「だからさっき薬飲んだって言ったでしょ!!」
と怒鳴っていた。
トヨタと我が家のスケール感の差がすごい。
向こうは世界経済。
こちらは便秘薬。
しかも世間から見ると、私は今どき珍しい“在宅介護をする優しい娘”に映るらしい。
昭和のホームドラマなら、近所のおばさんにこう言われる。
「偉いわねぇ、お母さん幸せねぇ」
いや、現場は全然そんな空気ではない。
毎日イライラ。
毎日自己嫌悪。
毎日、「こんなはずじゃなかった」の小鍋をコトコト煮込んでいる。
「なんでティッシュを冷蔵庫に入れるの」
「それ昨日も聞いた」
「お願いだから夜中3時に起きないで」
という、“生活のバグ修正”を延々と繰り返す作業だった。
しかも終わりが見えない。
投資ならまだいい。
下がっても、「そのうち戻るかも」という希望がある。
でも介護は、基本的に右肩下がりチャートだ。
どれだけ頑張っても、“回復”という陽線が出ない。
だから最近、「これ、老人性うつなのでは?」と思い始めた。
いや、正式診断ではない。
でも、人生の後半になると、心の疲れ方が変わる。
若い頃みたいに、
「つらい!旅行行こ!」では回復しない。
もはや自律神経が在宅勤務していない。
そして恐ろしいのは、介護している人間ほど、
「親を大切にしている立派な人」に見えてしまうことだ。
違う。
実態は、
怒鳴る
↓
落ち込む
↓
優しくする
↓
また怒鳴る
の無限ループである。
完全に情緒がサーキュレーター状態。
それでも世間体だけは「親孝行」。
人間、外から見た姿と、中身の荒野が一致しない。
でも最近、少しだけ思う。
もしかすると、「人生に無駄はない」というのは、
成功して表彰されることではなく、
こんな地味で情けない時間を、どうにか今日もやり過ごした。
その“謎の耐久力”のことなのかもしれない。
できれば、もっと華やかな形で才能を発揮したかったけど。